読売TV系で3/23放送の「家族の奇跡スペシャルドラマ・ぼくのいのち」は、幸せな5人一家に襲いかかるガンとの闘いのお話で、実話を元に作られたドラマなのだそうです。たぶん、涙なしでは見られないだろうなと今からジ~~ンと来てますが、見ます、見させていただきますよ、今夜。
運動が大好きで、明るくて、元気いっぱいの次男、祐平クンが100万人に1人とも言われる珍しいガンの一種の『肝芽腫』を発症。「2年生存率0%」という残酷な宣告。でも、「どんな事があっても諦めない」と、最後まで希望を持ち続けて、見つけた「家族のカタチ」のお話です。
Contents
家族の奇跡スペシャルドラマ・ぼくのいのち、主な登場人物とキャスト
- 川田美千代(木村佳乃)…母・専業主婦
- 川田大輔(北村一輝)…父・重機オペレーター
- 川田真人(大山蓮斗)…長男
- 川田祐平(横山歩)…次男
- 川田温彦(はるひこ)…三男
- 中村節子(高畑淳子)…三千代の母
- 中村憲雄(竜雷太)…三千代の父
- 中村雪絵(北川弘美)…三千代の妹
- 小野寺美咲(木南晴夏)…幼稚園の先生
- 三國隆晴(佐々木蔵之介)…大学病院の医師
家族の奇跡スペシャルドラマ・ぼくのいのち、主題歌
- Anly、の「笑顔」。2016年3月23日リリース
家族の奇跡スペシャルドラマ・ぼくのいのち、あらすじと感想
2004年3月
気づいたのは風邪で熱が下がらず、近所のお医者さんへ連れていったときなのだそう。もっと早く気づいてあげてればとお母さんは後悔されてるみたいですね。お風呂から出たとき、ぼくのお腹見て!かったいでしょ!と言ってたんですよね、その数週間前に。
発症するのは100万人い1人のガン。
「なんて伝えたらいいと思う?」と考え、「おなかの虫さんをやっつけるため」と言いきかすお母さん。
2004年3月22日、最初の入院。
「ベッカムにする!」・・・なんていうかさすが!抗がん剤の副作用で抜ける前に、サッカーも強くなるぞ!とベッカム刈り。
初めての入院。泣き叫ぶ祐平クンを言い聞かせて帰るおかあさん。
翌日から抗がん剤治療が始まり、おかあさんは大忙し。
みんな頑張っているのに、抗がん剤の効き目が悪いという医師からの告知。
3クール目に入っても抗がん剤は効き目が無い。ということで、生体肝移植を医者に進められるんですね。
8月、東京の大学病院で宣告され残酷な告知
生体肝移植の第一人者である医師に会いに行く。
そこで、このまま何もしなければ1年もたないと宣告される。手術をしても再発した場合、2年生存率はゼロパーセント。・・・・・・・・どうすることもできないくやしさや悲しみ。
かあちゃんが笑ってたからおれも楽しくなった
ボランティアの人の訪問で久しぶりに心の底から笑っている祐平クンを見て、おかあさんも笑う。そんなおかあさんに祐平クンが言った言葉。お母さんの笑顔がやっぱり子供にとっては一番なんですね。
2004年9月
お父さんのドナー検査が始まったのですが、脂肪肝だからそれを治療してからでないと使えないし、祐平クンの症状にそんな余裕はなく、結局お母さんがドナーになることになる。
そして、もうひとつ、大きな問題が。それは手術費が1000万かかるということ。
おとうさんは家を売るか・・というんだけど、すぐに売れるかな?中古だし、せまいし、駅から遠いから。
もう2人してイライラ。そりゃそうですよね。どこにこの思いを持っていけばいいか、わからないですよね。
すっかり困惑していたときに、費用はなんとかなると言われ、ようやくほっとする。そして、手術も決まり、その日は一時帰宅もでき、祐平君は元気いっぱい。家族全員でお風呂に入ったり、川の字になってみんなで寝たり。
そして、翌日は幼稚園の運動会。そして、みんなと一緒に走りたい!という祐平クン。園長先生に頼んでは知らせてもらうことになり、右肩にカテーテルをつけたまま、みんなと一緒に。うれしそう♪・・・見ていてこちらまで涙が出てきてしまいました。
「手術、うまくいくといいね」というお母さん。うん、きっと大丈夫!お父さんも言ってたけど、私も思わずそう話しかけていた。
シャボン玉みたいにガンもとんでいけばいいのに、シャボン玉みたいに消えてなくなればいい・・・。
そして、手術の日
「オレ、一人でよくなるから、かあちゃんの肝臓いらないのに」って、本当にいい子ですよね、祐平クン。
手術は13時間もかかったんですね。想像以上に大きかったとか。これでうまくいってほしいですね。
「おれがかあちゃんのお腹を切らした」とか・・・ほんといい子すぎ。しかも「かあちゃん、泣いてたら元気にならないよ」とそんな時でも言うなんて。
術後の経過は順調
元気いっぱいの祐平クン。でも、お医者様は、どこかにガンの細胞が隠れているかもしれないからと、抗がん剤治療を進める。そして、一時退院も許可される。ただし、人込みは絶対だめ、家に帰ったら手洗いやうがいをしっかりすること、そして薬を朝晩必ず飲ませること。
そして、にぎやかに過ごす家での食事。すごく楽しそう。
その夜、おなかの傷がおそろいの勲章♪と笑いあう祐平クンとお母さん。見ていて言葉が出ません。
11月、抗がん剤治療再開
その抗がん剤治療を終え、2005年1月22日、祐平クン退院。そして幼稚園へ戻る。みんなに歓迎されてうれしそう。それにしてもひょうきんな祐平クン。病院のお別れ会でも祐平クン、大活躍。
病気だったことがうそのように、日に日に元気になっていく祐平クン。みんなも幸せそう。
ところが、退院後7か月目の8月・・・・
咳をする祐平クンに、「風邪でもひいたかな?」とお母さんが言うと、「そうじゃないよ。虫さんがここにいる」とか、祐平クン、わかってるんだ・・・と、残酷すぎる。
そして、肺の手術をするかどうかの決めるようにと医師に言われたとき、致死量を超える抗がん剤を投与して治す方法ができないかと医師に言うお母さん。
それはとても危険な治療法だと、医師の方が気がすすまないようなんですね。死を乗り越えられるかどうかは祐平クンの体力しだい、とか・・・・もしもうまくいかなかったら、言いだしたおかあさん、自分を責めに責める結果になるんだけど、この治療法・・・・受けたということなんでしょうか?
その治療を受けさせるかどうか、なかなか決まらない。
でも、父親としてやれるだけのことは祐平にしてやる、とついに決意するお父さん。今オレたちにできることは、あいつの生きる力を信じてやることだからと。
2005年8月11日、始まる治療
肺の手術は成功。そして、始まる治療。
抗がん剤を投与して白血球を一時的に無くす。体調が悪くなった祐平クンの体調の回復を待って造血幹細胞を採取。採取したものを冷凍保存。そして、10月6日、通常の抗がん剤の何倍もの抗がん剤を投与。免疫ゼロの状態になる。
強い力で乗り越えようとする祐平クン。
10月17日、冷凍保存していた造血幹細胞を祐平クンの体に戻す日。
「かあちゃん、寒いよぉ」と震える祐平クン。「もしも祐平クンの体が幹細胞を受け付けなかったら、覚悟をしておいてください」という医師。医者だから言わなきゃならないでしょうけど・・・たまらないですよね、お父さんもお母さんも。
抗がん剤の副作用にも耐えここまで頑張ってきた祐平クン。なんとか助かったほしいです!!
そして、5日経過、熱が出る
今度は体が熱くて苦しいという祐平クン。
「オレ、死んでしまうの?」という祐平クン。
「そんなこと言っちゃだめ!絶対いちゃだめ!」というおかあさん。
祐平クンが弱気になるのは初めて。今まででもあったかもしれないけど、「オレだってたまには弱気になるよ」という祐平クン。
「そんなこと言っちゃだめ!かあちゃんが絶対治してあげるから!」と叫ぶおかあさん。
そして、・・・・結論は、熱が出たのは、幹細胞を祐平クンの体が受け入れたからでしょう、という医師。
駆けつけたお父さんは、死んだと思ってどっきりだった感じですね。でも、よかったです。
そして、その先生にもお礼を言う祐平クン。ほんと、大人よりもずっと大人な祐平クン。すごいです。
「彼に、祐平クンに、生存率なんて言葉は不要でした」と言って立ち去るお医者さん。ほんとそうですね。これからは、ぐんぐん元気になってほしいですね。
泣いて抱き合う両親に、「なんだか恋人同士みたいだな」とからかう祐平クン。
11月に無事退院。
にぎやかな家族。よかったですね、本当に。
「みんなにもらった命」という祐平クン。最後の手紙がまた涙を誘いますね。
その祐平クンは今年16歳なのだそう。ずっとずっと元気でいてほしいですね。
よかったーーーー・・・・・涙が止まらないです。。。。。。。感想がろくに書けないくらい(苦笑)
ホント・・・奇跡です!!